【連載 1】いごっそう・元親

長宗我部元親という人物をご存知でしょうか?
歴史FANの間でもマイナー視され、地元高知でも坂本龍馬に押されて知名度は今一歩。
しかし昨今、戦国をモチーフにしたゲームや漫画で戦国武将の存在を知り、歴史小説を読み解くうちに 武将に魅かれていく若者が増えているといいます。
長宗我部元親はその現象で、戦国の表舞台に再び躍り出た人物の代表といっても過言ではない一人です。
第一回目の今回は、この長宗我部氏の代表、長宗我部元親をクローズアップして行きたいと思います。
元親は幼少時、色白で部屋に引きこもっていて、客や家臣が来ても挨拶一つしない変人だった。 という記述が残っています。
高知は昔から、開放的で豪快な気質の人が多いといいます。吉田茂、坂本龍馬などが、 高知を代表する人間性だとすれば、その中で幼少の元親の奇行は一層際立ったことでしょう。
土佐では、豪快な気質の男性を「いごっそう」(漢字では「異骨相」又は「威豪相」と書くそうです)、 と呼びますが、上記の紹介だと、元親は土佐者としてはいかがなものかと思われます。
では、元親は「いごっそう」ではないのでしょうか?
本来いごっそうとは、『己の魂に忠実である』という意味だそうです。 それが時代が流れるに連れて、「頑固だが憎めない人」「豪快」「偏屈者」 などと解釈が変わってきたのだそうです。 
こんな話があります。
元親が雲辺寺を訪れた時、住職の俊崇坊に四国統一の夢を語ります。 住職は、「薬缶の蓋では水瓶の蓋は出来ません」と、 はっきりと、四国統一は無理。と答えられました。
しかし元親は
「我が蓋は元親という名工が鋳た蓋である。たとえ小さくとも四国に蓋をしてみせる」
と答えます。
秀吉が天下を平定し、聚楽第で宴会を開いた時、秀吉が元親に、
「今から四国の覇者を望むか。それとも天下に心をかけるか」
と問います。元親は
「天下に候」
と答えます。しかし秀吉は
「貴殿の器量で天下への望みは叶うまい」
といいますが、
「私は悪しき時代に生まれ、天下の主になり損じた」
と返し、秀吉はじめ、その席にいた一同を驚かせたといいます。
この時期の秀吉にここまで言える人物は、そうはいません。
最後に、朝鮮の役の際、小西行長が突出しすぎるので戻るように連判状を作ろうと 画策した時に、反対した元親は、仮病を使って出てきませんでした。 その連判状に腹を立てた秀吉は、参加しなかった元親には大いに喜んだとか。
そのお陰で、軍監、垣見和泉守とはますます不仲になり、ある日、城に設置する 鉄砲狭間の作り方について、城の内部が見えてしまってはおしまいなので、和泉守は高く、 そんなに高く作っては射撃に向かないので、元親は低く作れと激しくぶつかります。
そこで元親は、杖で鉄砲を撃つ構えをして、
「元親は生涯戦場で過ごしてきました。実践の事はお任せあれ」
と、言うと、和泉守は一言も言えなかったのだそうです。
普段、目上の者に対しては慇懃に取りはからうのに対し、 元親はそのような事は全くなく、 魂までは誰にも屈する事なく、最後まで「己の魂に忠実」だった、 元祖「いごっそう」だったのではないでしょうか。

(著・イラスト、写真提供:乾アイ)
乾アイ
東京都出身。中学の頃より世界の芸術、建築、文化が好きで、学生 時代は美術とデザインを専門に学び、日本を始め、世界の歴史に興 味を持つ。気づけば戦国時代へ傾倒。現在は、アニメーション、ゲーム、広告、アパレル、WEB…と、 畑を選ばず活動中。
歴史の授業は、ノートや教科書に、歴史上の人物や出来事の落書き をして、周りを笑わせる事が好きでした。 長宗我部氏に出会ったきっかけは、長宗我部氏の名前が読めなかったので、司馬遼太郎先生の夏草の賦を読み始めてから。
http://ainui.com/
