【連載 2】長宗我部の祖・秦能俊

源平合戦から300余年、時は戦国。源氏と平氏の末裔を名乗る
武将や豪族が台頭する時代、長宗我部氏は秦氏を名乗っていました。
第二回目の今回は、長宗我部の祖にスポットを当てたいと思います。
土佐の軍記物語、「土佐物語」によると、
秦の始皇帝を祖とする秦氏の血筋、秦河勝より数えて25代目の秦能俊が、
平安末期~鎌倉時代初期にかけて土佐に入国し、
長岡郡宗我部郷(現・南国市岡豊町近辺)
に居を構えたことから、初めは「宗我部」を名乗っていましたが、
近隣の香美郡宗我部郷にも同じく「宗我部」を名乗る豪族がいたので、
お互い地名の一番初めの一字を取って、
長岡郡の宗我部は「長宗我部」、香美郡の宗我部は「香宗我部」と名乗り、
ここに「長宗我部」姓が誕生したのでした。
さて、この、長宗我部初代とされる秦能俊ですが、
彼の氏族の起源を辿ると、日本古代にまで到達します。

秦氏の出自については諸説ありますが、いづれにしても大陸からの渡来人です。
秦氏は、現在の京都・太秦一円を治め、大和時代には秦氏の頭領、
秦河勝が、聖徳太子のブレーンとして活躍します。
その功績を認められ、現在では国宝第一号に指定された
弥勒菩薩半跏思惟像を太子より賜り、太秦に広隆寺を建立しました。
後に信濃の領地を太子より賜り、秦能俊の代の平安末期まで治めます。
能俊は、保元の乱(1156年)に崇徳上皇方に属し破れ、土佐へ走ったとされる説もありますが、
承久の乱(1221年)に幕府方で参戦し、
その功績から土佐の長岡郡宗部郷を賜ったとされる記述もあります。
また、上記で記した香宗我部の祖、中原秋家は、
源頼朝の力により1193年に土佐入りし、
1223年には香美郡宗我部郷を治めていたらしく、
上記の「宗我部」姓のエピソードからすると、
どうやら香宗我部が先に土佐入りをしたらしいので、
能俊が土佐入りしたのは、保元の乱(1156年)~1223年の間となり、
平安後期~鎌倉初期となります。
しかし、この年代からすると、長宗我部氏と香宗我部氏が土佐入りしたのは
タッチの差・・・。だったのかもしれませんね。
実は、長宗我部の祖にはもう一つの説があります。それは蘇我氏説です。
蘇我氏も大陸よりの渡来人、又は、渡来人と関係の深い氏族とされています。
大化の改新で有名な、蘇我入鹿などの家ですね。
蘇我氏ではないかと言われている説ですが、
一般的には「ちょうそかべ」と発しますが、土佐では現在でも「ちょうそがべ」と発し、
「ちょうそがべ」の「 そ が 」が、「蘇我」であるとされる説です。
しかし、姓の一部が蘇我と被るだけでは、説得に苦しい部分がありますが、
それ以上の記述は出てきませんでした。
以上、秦氏説、蘇我氏説を取ったとしても、
長宗我部氏の起源は、大陸からの渡来人、または、
大いに大陸と関係が深い氏族ということが分かり、
古事記から辿ってきた日本人の起源をなぞる、源氏と平氏とは
別格であったことが分かります。
====以下は、長宗我部氏の祖を語る上で出てきた氏族の説明です。====
※秦氏
9世紀に編纂された歴史書、「日本三代実録」より登場します。
そこに、秦の始皇帝より数えて5代目の弓月君(融通王と記載してありますが同一人物です)が
秦氏の祖であると記述されています。
弓月君は、それよりも古い日本最古の正史「日本書紀」から登場し、
百済より沢山の人を引き連れて渡来、帰化したとありますが、
秦の始皇帝の末裔という記述はありません。
おそらく、「古事記」に、「応神天皇の時代に秦造の祖が来た」とだけ記述してあるため、
それが、「日本書紀」でいう弓月君であるということになったのだろうと思います。
その後、彼らは京都太秦を治め、養蚕、酒造、土木などの技術を日本に伝えたといいます。
※蘇我氏
応神天皇の時代に渡来した百済の高官、または、渡来系の氏族と深く関係し、
政治を大いに助けた氏族。
しかし、日本最古の歴史書、「古事記」に登場する武内宿禰が祖であるともされています。
※応神天皇
仁徳御陵でおなじみの仁徳天皇の親です。在位は270年~310年と長いですが、
これは、日本書紀は古い時代は年代を引き伸ばして記載されることにより起こったことで、
実際の応神天皇の時代は紀元・390年位から始まったのではないかとされています。
いづれにしても応神天皇の時代より少し前から百済と国交があったことは確かなようで、
その時期に大陸から沢山の人が渡ってきてもおかしくはありません。
応神天皇は、長宗我部と渡来人を辿る上でのキーマンのようです。
(著・イラスト、写真提供:乾アイ)
乾アイ
東京都出身。中学の頃より世界の芸術、建築、文化が好きで、学生 時代は美術とデザインを専門に学び、日本を始め、世界の歴史に興 味を持つ。気づけば戦国時代へ傾倒。現在は、アニメーション、ゲーム、広告、アパレル、WEB…と、 畑を選ばず活動中。
歴史の授業は、ノートや教科書に、歴史上の人物や出来事の落書き をして、周りを笑わせる事が好きでした。 長宗我部氏に出会ったきっかけは、長宗我部氏の名前が読めなかったので、司馬遼太郎先生の夏草の賦を読み始めてから。
http://ainui.com/
