【連載 3】こじゃんとごっつい岡豊山(おこうやま)
さて、第一回目で、元親を紹介いたしましたが、
第二回目の今回は長宗我部一族始まりの地、岡豊城と、城に縁が有る場所を地図でご紹介します。
長宗我部氏が領地としていた現在の高知県南国市一帯は、
なだらかに海へと繋がる高知最大の穀倉地帯である香長平野が広がり、
その平野の終わりにある岡豊山が、長宗我部氏の居城、岡豊城。
岡豊城二の段からは、香長平野が一面に見渡せます。
高知は山岳地帯が多く、稲作に適する土地が少ないので、
「土佐のまほろば」と言われ、時代は古く、弥生時代の出土品もあり、
平安時代には紀貫之が48代目の国司として訪れ、土佐日記を残している歴史ある地域です。
この、まほろばで成長し、毎日平野を見つめ、
元親は四国を大きく飛び越え、天下を夢見たのでしょう。
長宗我部氏の居城・岡豊城は平成20年、中世の城郭を色濃く残しているものとし、
国指定史跡になりました。
起源は定かではありませんが、平安時代後期~鎌倉時代初期に長宗我部氏の祖、秦能俊が土佐へ移住
した頃からあったのではないかと言われており、
元親が大高坂城に移転する1588年頃まで存在したのではないかと考えられている、長宗我部氏始まりの地です。
1:岡豊城:
東は城下町、西は湿田、南は国分川と、天然の要害となっている上に、
岡豊山には土塁や掘り切が至る所に張り巡らされ、
四方から敵を狙える虎口と、中世の城の中でも高い防御力を誇る城郭です。
これを一度は落とした長宗我部氏の長年のライバル、
本山氏の手腕もなかなかのものではないかと思います。
二の段から見る景色は最高。晴れていれば海と夕日が見えるベストスポットです。
2:伝・厩跡:
馬をつなぎ止めておく場所だったそうです。

3:船着き場:
近年、国分川の堤防整備の時に発見されたものです。浦戸から岡豊城まで物資が輸送されます。
このもう少し北の国分寺辺りからも船着き場が発見されたようです。
戦国時代の国分川は、流れがもっと速く急で、よく氾濫するため暴れ川と呼ばれていたようです。
近年の工事でここまで穏やかになったとか。
4:岡豊城への道:
船着場の向かいの階段は、岡豊城に物資を運ぶ時に使用した遺構を整備したもの。
階段を上る途中、右手に当時の土塁を見ることが出来ます。
階段を上ると、踊り場に柱跡を発見することが出来ます。
ここに櫓を組み、物資を一時まとめていた場所、もしくは、運び人が休職した場所ではないかと言われています。

5:岡豊城下町:
岡豊小学校付近の曲がりくねった小道に、家が密集しています。
これは岡豊城下の町並みが今でもそのまま残っているもので、
現在でも敵の侵入を容易に許さないことを物語っています。
岡豊城は山城なので、長宗我部一族はこの城下のどこかに住んでいて、
合戦時に城に上がったといわれています。
6:香川五郎次郎親和、秦氏墓:
とても見落としやすい場所に有ります。歴史民俗資料館に行くための坂を上る途中、右手に
「香川五郎次郎親和」と書いた立て札を見つける事が出来ます。
その横にある小さい階段をひたすら降りましょう。
長宗我部一族の墓より離れた場所に、ぽつんと一つだけ建てられています。
横に「秦氏墓」と書かれた祠があります。

7:長宗我部氏墓所:
こちらも解り辛いですが、国道384号線を高知市内に向けて少し走らせ、倉庫の横の細道を潜りますが、
草刈りをしていないと、どれが道なのか何なのか解り辛いです。
一応行き止まりの足許に「秦氏→」と、掘られた石があります。
20代国親まで、歴代の長宗我部当主が眠る場所です。一番奥の、一番大きいお墓が、
国親、又は信親の墓だと言われています。
一応五輪塔の様式ではあるのですが、上から三番目の火輪の部分が無くなっています。
地元の方のお話によると、当時加工された石は貴重なため、もしかしたら誰かが何かの用途のために
持ち去ったのではないかと仰っていました。

8:岡豊別宮八幡宮:
岡豊城の鬼門を守っていた神社です。元親縁のエピソードも多数存在します。
長宗我部氏ゆかりの宝物が沢山ありましたが、大正年間大火にあい焼失してしまいました。
国道384号線をはさみ、岡豊山の向かいに入り口がありますが、
もの凄い急な階段を上るため、384号線を少し北へ、クロネコヤマトの集積所がある山道を登ると、
境内の裏に到着します。私は車を使い後者のルートで境内の裏に出たので何ら苦労はしません
でしたが、
毎度これを登った昔の人の健脚は素晴らしいと思いました。境内から階段の一番下が見下ろせません…。

9:豊岡神天神社:
岡豊城の裏鬼門を守っていたのではないかといわれる神社です。畑の真ん中にぽつんとあります。
「豊岡」とは、岡豊の昔の呼び名。戦国期に「岡豊」と改名されたらしいです。
由緒は不明ですが、地元の方の話によると、岡豊城が建つ前、平安時代辺りから、
岡豊山山頂にあったのですが、長宗我部氏が城を建てる時にこちらに移したのだとか。
宮司さんはいなく、地元の方々で守っているのだそうです。
10:わだばし:
写真スポット。最近架けられた橋だそうですが、岡豊山側には、長宗我部氏の家紋、七つ片喰のレリー
フ、向かいの常通寺島側には、元親の弟、香宗我部親泰の現存する兜を模したレリーフがあります。

(著・イラスト、写真提供:乾アイ)
乾アイ
東京都出身。中学の頃より世界の芸術、建築、文化が好きで、学生 時代は美術とデザインを専門に学び、日本を始め、世界の歴史に興 味を持つ。気づけば戦国時代へ傾倒。現在は、アニメーション、ゲーム、広告、アパレル、WEB…と、 畑を選ばず活動中。
歴史の授業は、ノートや教科書に、歴史上の人物や出来事の落書き をして、周りを笑わせる事が好きでした。 長宗我部氏に出会ったきっかけは、長宗我部氏の名前が読めなかったので、司馬遼太郎先生の夏草の賦を読み始めてから。
http://ainui.com/

